GPM KOKUSAI Ta-Go

いやはや模型作って無いですハイ・・・連休まで後少し頑張らねばと、思う今日この頃。

そんな訳で今日は手抜き?な感じの蔵書紹介って事でGPMのタ号特殊攻撃機等。
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うわ~表紙にKAMIKAZEって書いて有るヨ~。

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1/33 A4 3枚 印刷も汚しの無いすっきりした感じです。部品番号を眺めたが、74番ってのが最大なんで大体200パーツぐらいかなあ~?

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完成写真もありますし、たぶん完成すると思う・・・なんだかやたら角ばってますね~まあ末期的な簡略設計のせいなんでしょう・・・。

そんな訳で資料が手元に無い!のでWikipedia様より解説を引用だ!!楽ち~ん♪
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開発は陸軍航空技術研究所の水山嘉之大尉により、1945年(昭和20年)2月に始まった。始めは非公式だったが後に公式の計画となった。陸軍航空技術研究所の指導の下、日本国際航空工業、立川飛行機の両社に開発指示が出された。

名前の由来は竹槍に因み、頭文字の「タ」の字をとって名付けられた。使用目的は、本土決戦におけるゲリラ的運用を想定した物で、爆弾を装備し近海沿岸の敵艦船に体当たりして自爆攻撃する為のものであった。

エンジンを積んで飛べさえすればよいという機体だったため、疎開工場でも生産可能で、工員に高度な技術を必要としない、生産しやすいように直線的にまとめられた、使い捨ての、きわめて簡易な設計であった。

タ号には2種類あり、ひとつは日本国際航空工業製で、全長5mほど、単座で、100馬力級発動機を搭載していた。武装は100 kg爆弾を1つ。日本国際航空工業製タ号は終戦までに試作機1機のみが完成した。試作初号機は1945年6月25日に完成した。

主翼はテーパー翼の低翼単葉であり、掩体壕に隠蔽できるように外翼を人力で上方に折りたたむ事ができた。主脚は固定式で、尾輪は無く、尾そりを採用していた。

機体は疎開工場でも生産しやすい為と金属の使用を抑える為に全木製で、胴体は木製骨組みに合板張りもしくは羽布張り、主翼や水平・垂直尾翼は、表面にフレーム跡が浮き出ているので、木製骨組みに羽布張りと思われる。プロペラは木製固定ピッチ2翅であった。

同様の資源節約目的の全木製機に、東京航空が生産していた低翼単葉複座練習機であるキ107があった。

基本的な機体デザインは同社が生産していた四式基本練習機とよく似ていた。

発動機はキ86やキ107と同じ「ハ47」であった。
~~~~~以上、引用。

しかしWikipedia写真が無いズラね・・・存在してたんかい?と、思うので写真等。
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タって書いてあんね・・・。
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Wikipediaに有る通り翼がたためる様ですな。
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飛んでます・・・。コレだけ写真がちっちゃいの~。

って、まあ特攻機なんぞ出して貰っても作れんですワ。本棚の肥やしなので有ります。まあ何故出す?と、言いたくなるがきっとチェコの某メーカーからキットが出ているせいだろう・・・(爆)個人的に早い所一式陸攻リニューアルしないかなあ~?と、思って止まないので有ります。だって、GPMもFLYも桜●付きしか出してないんで作れないんだって!!それにいい加減古いしな・・・ハリンスキー辺りから出ないかなあ~?この間P-38・零戦32型と来たからちょっと期待♪ 

そう云えばなんだが夜中に台所に行ったら、<黒くて硬くててらてら光ってて暗くて狭くて湿ったところが好きなわりに足の早いせーぶつ が出現>、うきょ~!!と、チキンな感じ丸出しで一人騒ぎ戸惑い心乱していたのでありました・・・一旦逃げ(オイオイ!)改めて戻ると何処かに行かれあそばされておりまして取り合えず接触は避けられた訳です。って、状況が変わる訳ではなくただ状況変わるのを待ってるだけだと取り返しがつかない様な事にもなりかねないので、「宜しい、ならば戦争だっ!!」と、昨年の在庫の罠を仕掛け、アース式噴霧剤を買いに出掛けたので有った・・・。

この記事へのコメント

ふぢさわてつや
2012年04月26日 23:57
特攻機、、、桜花にしろ心が痛くなりますね
戦いは引き際も肝心、こんな武器作って死ねという軍隊はすでに負けているのにな

これは現代の会社にも言えるハナシ
昔と違うのは死ねと言われても拒否できる権利がある
拒否できず散っていった方の無念は計り知れません。。。。
2012年04月28日 14:03
ふぢさわさん、こんにちは。
そうですね全て狂気の中での所業ですが、専用なる物まで作りだした時点でもうダメなんだと思うのですがね・・・。

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